いつかきっとがもう間近

現のこと、夢のこと、

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現在と未来

毎日のことで、何が正解で何が不正解なのかわからない。とりあえず自分のやりやすいこと、わかりやすいこと、簡単にできることのみを正解として、不都合は目を瞑る。

 

ネットサーフィンしていると、「老人になってから後悔することは、今まで、やりたいことに手をこまねいて、チャレンジしなかったことだ」という記事があった。この種の後悔は、老人にとっては絶望的だろう。取り返しがつかないから。

 

今よりもっと時間ができたら、今よりもっと余裕ができたらと、自分の「本心」を先延ばしにして、未来に無知な憧憬を描いたまま迂闊に老人になってしまったら、本当に死んでも死にきれないだろう。

 

ということで、またネットサーフィンしながら、生について格言・名言を探してみた。アメリカの文化人類学者のマーガレット・ミード氏の『未来とは、今である』というのが見つかった。使い古された、よく聞くフレーズだ。「アナタの将来は、今の頑張りにかかっているのよ」と、ホレがんばれ、ソラがんばれと叱咤激励の言葉として用いることが多い。

 

けれど、『未来とは、今である』を素直に受け止めてみると、人間の性格や性質はそうそう変わるものではないから、今、新しいことにチャレンジする勇気のない人は将来もきっとチャレンジすることはないだろうし、今、いろんなことに興味がある人は将来も何かに興味津々だったりするのだよ!という内容なのかも知れない。

 

だから最初の「後悔することは、今まで、やりたいことに手をこまねいて、チャレンジしなかったことだ」という老人の後悔も、実は若い頃から今までずっとチャレンジしないことに後悔し続けていたということになる。だが、もちろん、これも不正解だろう。

 

チャレンジしなかったことを後悔要素にあげている老人は、若い頃も家族のため、お金のため、自分の幸福のために、慎重かつ賢明かつ堅実に生きてきたはずだ。そして今もきっと、良き人生を謳歌しているのだろう。だからこそ、「後悔していることは何?」と聞かれると、「チャレンジ」という言葉が出てくるのだ。

 

「チャレンジ」は実際のところ、後悔している老人もしてきたはずだ。「無謀なチャレンジ」をしてこなかっただけに違いない。「無謀なチャレンジがしたかった」と茶目っ気たっぷりに言いたかったのに、真面目な人達は言葉通りに受け取ってしまったのではないかと考えられる。

 

だから、何?という話になるが、何が正解か不正解かわからないという冒頭の話に帰るのだ。

 

 

 

 

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