いつかきっとがもう間近

現のこと、夢のこと、

「スポンサーリンク」

親密さは方言にあり

もともと田舎者だから、方言丸出しで話していた。もちろん、方言を話しているという自覚はなかったから、自分が発する言葉が『標準語』と程遠い方言だと知ったときはショックだった。

 

それを知ったのは、ラジオ番組だったような、おぼろげな記憶がある。もともと田舎者で、頭も良くないのに勉強しなかった私は、標準語を聞いても方言を聞いても意味はわかるので、言葉の違いは頓着しなかったのだ。デリケートさに欠けていたのだ。

 

だが、自分が方言丸出しだと気づいたとき、私は無口になった。というより、喋れなくなった。そんなとき、父の仕事の関係で田舎から若干、都会に出たものだから、ますます喋れなくなった。

 

貝のように口を閉ざしてしまっただけならキレイなイメージだが、気持ちの上では「あれもしゃべりたい、これもしゃべりたい」と欲求不満を抱えていたので、陰鬱な性格になってしまった。そうなると、喋る相手さえいなくなるので孤立した。

 

どうして、私は方言を恥ずかしいと思ったのだろう。方言を笑いのネタにする流行が私を病ませたのだろうか。いや、違う。いろいろと考えていくと、やはり「方言を恥ずかしい」と思ったのは、私の個性の一つだとしかいいようがない。良かれと思ったことが、いつも『ハズレ』なのだ。思考の方向性が愚かなのかも知れない。

 

でも、昨今どうでもよくなった。方言とか標準語とかに関わりあっちゃ、好きなことはしゃべれんけえね。しんどい時には、しんどいと言い、えらい時にはえらいと言いんちゃい。どだいこだい、たいした差はないんじゃけ。意味が通じたらいいんよ。

 

と、やっと言えるようになった。長い道のりだった。親密さは方言にあり。

プライバシーポリシー 「スポンサーリンク」