いつかきっとがもう間近

ありのままの生活と夢の中

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ドラマ好き

年度第Ⅳ期、また新ドラマが始まってきましたね。ほとんどのドラマを一度は見ることにしています。話の種を収穫するためです。

 

「暑いですね」「寒いですね」「冷えましたね」「陽の暮れが遅くなりましたね」など、通り一遍の挨拶だけで終わらない場合、「そういえば、あのドラマは見ていますか」などと話を続けます。

 

ずいぶん前は、テレビを見る習慣がなかったので、ドラマの話をふられても、さっぱりわからなくて困っていました。そんな私も、時間にも感情にも余裕ができたので、話題を提供できるようになってきました。

 

世間話で面白いのは、失敗したり、何かをやらかしたことを暴露したりすることですが、不真面目さの中にも正直さはあり、話を盛ることができません。こう話せば、もっと笑えるけど、という所で踏みとどまります。真面目さの中に不正直さがあるのと、どちらがいいのかわかりませんが。

 

秋のドラマの中では、あーだこーだと屁理屈をダラダラとこね回す面倒くさい『僕の話は長い』が面白かったです。それと、『きのう何食べた』をまとめて見ましたが、秀逸ですね。

 

これからの冬ドラマは、まだ全部みていないのでわかりませんが、一つ、どうしてもいいたいことがあります。

 

初回延長はやめてほしいです。見どころ満載はわかっています。あれもこれもと手応えが欲しいのもわかります。けれど、通常、毎週決まった曜日の夜の9時、10時と1時間枠のドラマなら、他局がどんなに魅力的な番組だとしても、その邪魔をせずに時間内に収めて欲しいです。

 

そうしてもらえると、もっと楽しくテレビが見られるのにと思います。

 

 

釘とプログラミング言語

新し物好きなので、よくわからないまま、「コード クロニクル」なるものをやってみました。

 

RPG感覚」とは何かしら? というところから、始めました。ロールプレイングゲームって、こういうことなのかぁ、と一つ一つステップアップしながら、チャレンジしました。

 

そういえば、うちの子、こういうゲームにハマっていたわよね……と、昔を懐かしみつつ……。

 

ただ、疑問があるのです。このプログラミングを学ぶと何ができるのか、自分に役に立つのか、そういうことがわからないのです。

 

もしかすると、高校で「微分積分」が何の役に立つのか、わからないまま学んだのと同じなのでしょうか。

 

カナヅチと釘があるとします。木材を重ねて釘をカナヅチで打てば、椅子にも机にも本棚にもなり得ます。けれど、そんな出来上がり図を想像もしくは提示されなければ、木材に釘を打ち込む手法だけを学んで、役には立ちません。

 

カナヅチは柄の部分が握りやすいから、知識がなくとも握れます。潜在的にこれは握るものだとわかります。釘は先が尖っているので、穴が開きそうなものなら突き立てることができると、わかります。

 

例えるなら、カナヅチは釘を打つ道具だというレベルにいるので、そこからどれだけ、進歩できるか、少し楽しみです。

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by ギノ

ありがとうございます

今週のお題「二十歳」

昔、正月や盆やその他の理由で、祖父母の家に、渋々、両親に連れられて行っていました。『渋々』というのは、別にとりたてて祖父母が嫌いというのではありません。まぁ、懐いていたわけでもありません。

 

祖父母は子沢山で、孫もたくさんいました。たまにしか会いに行かない遠距離の内孫よりも、毎週のように現れる外孫の方が可愛いはずです。少なくとも、そう感じていたので、無邪気になることもなく、可愛がられることに遠慮していました。

 

それに、全体的に薄暗くて、歩けばギシギシ音がする祖父母の家が苦手でした。憂鬱というか、気が重くなるというか、祖父母の家で私は声を上げて笑ったことがないと断定できるくらいです。

 

けれど、それは私のヒガミ根性だけからくるものではなく、祖父母の家に行く理由のその他の大部分が『法事』だったことが、原因なのかもしれません。

 

祖父母の家に着くと、両親は木の門扉を引いて中に入り、庭木に顔を背けながら何歩か歩いて玄関の引き戸を開けました。私はその後ろから、体に枝が突き刺さらないように身を縮めて、ついていきました。玄関に足を一歩踏み入れると、明るく清潔な三和土とその広さにホッとしたものです。

 

「こんにちは」

「まあ、いらっしゃい」

玄関の三和土からみる祖父母は、明るく笑って迎えてくれていたような気がします。上がり框から廊下を一直線に奥に向かうと、台所と五右衛門風呂に突き当たります。奥に奥に歩くに従って、昼間でも薄暗くなっていきます。

 

電球が長い廊下に1つ、ついていました。もちろん、昼間はつけません。部屋は廊下沿いに3室ありました。皆でご飯を食べる和室が一番奥にあり、それから祖父母の寝室の和室、仏壇がある和室でした。

 

仏壇がある部屋が位置的には玄関の真横なのですが、構造上、玄関から一番遠くて、暗い部屋でした。私たち一家が祖父母の家に泊まる場所は、その仏間でした。夜、目が覚めると、豆電球の光が鴨居に吊り下げられた先祖たちの顔写真に反射して、キラキラ光って、落ち着かない気分になりました。

 

その翌日、いつの間にか寝具が片付けられて、狭い部屋に沢山の親戚が集まり、お寺さんの途轍もなく長いお経を聴いていました。足は痺れるし、お寺さん独特の抑揚がおかしいしで、声を殺して笑っては母に指でつつかれていました。

 

お寺さんがいなくなると、「今度、遊びに来なさいな」「大きくなったわね」と叔父や叔母から声をかけられます。返事に困っている私に、母はすかさず「ありがとうございます、でしょ?」と指南してきました。

 

どういうものなのでしょう。今でも本当は、疑問に思います。「ありがとうございます」という言葉は重みのある言葉で、感謝を表すものです。挨拶言葉でも相槌でもないはずです。

 

「遊びに来てもいいよ」という気持ちに感謝、「大きくなった」と気づいてくれたことに感謝、する必要があるのかもしれません。それとも、昔の意味としての「ありがたし」の「めったにないこと」「存在しがたいもの」の意味が活きているのかもしれません。

 

「ありがとうございます」が、口癖のようにいえるようになったのは、働きはじめてからでした。「ありがとうございます」が鼻歌のように言えるようになって、意味のある言葉とも考えなくなりました。その頃、大人になったような気がします。

 

 

けれど、大人初心者から大人熟練者になってきた今、言葉の重みを学び直しているところです。

 

大切にすること

今週のお題「2020年の抱負」

今年も始まってしまいました。あけましておめでとうございます。

 

正月の三ヶ日は、食事から食事への流れが延々と続いているような日々でした。空腹なときが一時もなく、満腹から満腹への食べ詰め状態でしたが、いいお正月でした。

 

おみくじは、中吉でした。「何事も運に任せ、思い煩うな」とのお言葉をいただきました。待ち人は「早く来ず音信あり」だそうです。おみくじは一箇所で大量に作っているんだってね……と、情報番組で知り得た話で茶化しながらも、中吉でホッとしているところです。

 

今年の抱負は、丁寧に生活することです。瞬く間に歳月が過ぎて行き、時間の流ればかりに気を取られて、時間に遅れまいと懸命に突き進む暮らしぶりを我ながら残念に思います。きちんと立ち止まって、心を尽くすことが丁寧に生活することかもしれません。

 

とりあえず、今年は「丁寧に」というスタンスで1年を送ってみようと思います。具体的には、人や物や出来事との関わり合いを大切にすることが丁寧に生活をすることではないかと思います。

 

いろいろと思うことはありますが、今年も頑張っていきましょう。地球上で戦争がおきませんように。天災がおきませんように。人災がおきませんように。みんな、幸せに過ごせますように。

 

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