いつかきっとがもう間近

ありのままの生活と夢の中

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七夕

雨が降っています。七夕ですね。七夕は雨の方が多い気がして、調べてみました。

 

七夕 天気 統計 と検索すると、この地の雨の確率は40%、晴れの日が多かったと出てきました。

 

何十年も前に、年に一度、七夕に会いましょうと、約束したことを毎年、思い出します。約束の場所は、もうありません。何もかも変わってしまいましたね。

 

初孫もお宮参りを終えて、無事に帰還しました。ここ数ヶ月のめまぐるしい生活がようやく一段落して、また、元通りの退屈気味な暮らしが始まりました。

 

実はお宮参りと同時に、私的に不運が続いていたので邪気払いもしていただきました。孫の初穂料は一万円、私のお清めは五千円と少し差をつけた理由は、お宮参りがメインで、私は「ついで」だからという弁解じみた気持ちがあったからです。

 

いつもならば願い事を思いつく限り念じるのですが、今回はなぜか愁傷に、願い事もせず、ただただ無心になって項垂れていました。

 

それが凶と出るか吉と出るかは、今後の人生でわかるでしょうか。これで、また一つ、楽しみができました。

 

いつかきっと、七夕の日に会えることを祈っています。場所はわかりますか。クスノキの大木が目印ですよ。

 

 

蟷螂の斧

この故事、昔、学校で聞いたことがあります。

 

「聞いたことがある」程度の認識で、かすかに憶えているのは、「蟷螂とは、カマキリのことです」と説明された先生の言葉です。

 

今も昔も浅はかな私は、内心、「それなら、トウロウなんていわずにカマキリといえばいいのに」と思いましたが、それはさておき、最近、『蟷螂の斧』という言葉が随所に出てくる小説を読みました。

 

『AX アックス』伊坂幸太郎さんの小説です。実に、面白かったです。英語に弱いので、AXと表紙にあるだけで敬遠していたのです。けれど、家に読む本がなくなったので仕方なく店へ出向くと、今も前面に平積みにされているので、まだ売れているのがわかり、遅まきながら購入しました。

 

手に取ってみると、あれよあれよという間に小説の中に引き込まれました。この小説の魅力は、登場人物の個性がはっきりしていることです。一人一人に生活背景があり、それなりに懸命に生きているんだなという、当たり前のことを思い出させてくれました。

 

読みすすむにつれて出てくる、「主人公の『兜』は恐妻家なのか?」という疑問を引き摺りながら読めたことも楽しかったです。

 

それから、実際に日常生活を営んでいる私よりも、登場人物達の方が現実的で、感情豊かに生きているように感じました。それも、この小説の魅力の一つです。

 

蟷螂……、実は私、大の苦手です。あの三角顔に大きな目と大きな前脚、小枝のような細い後ろ脚、そして長い体、細長い羽、すべてが嫌いです。体長15cmもある大きなカマキリに睨まれたら、そこが家の玄関であろうと裏口から入ります。それほどカマキリは苦手です。

 

だから、蟷螂の斧という意味を勘違いしていました。「体は小さくても、一目置かれること」とか、『一寸の虫にも五分の魂』的なものかと思っていました。昔、学校で教えられているはずなんですけどね……。

マスク

もう何年前になるでしょうか。高校生の息子は、いつも白いマスクをしていました。風邪をひいているわけでも、花粉アレルギーがあるわけでもないのに。

 

校則で禁止されていたバイク通学をするためには、制服を隠す長いジャンバーと白いマスクが必要だったのでしょう。その息子も、今では普通のサラリーマンです。

 

また、昔から近所に住む女性も、いつも白いマスクを口に当てていました。風邪をひいているわけでも、花粉アレルギーがあるわけでもないのに。

 

正面きって確かめたわけではありませんが、その女性は他人に風邪をうつされないように、予防のマスクをされていたのだと思います。

 

何年か前、旅行土産をその女性に差し上げたことがありました。飼い犬や子どもたちに、よく声をかけてくださるので、私からのほんの感謝のしるしでした。

 

「いつもお世話になっています」とお渡しすると、とても喜んでくださいました。でも、その僅か数分後に玄関のピンポンが鳴って出てみると、女性が立っていました。そして「沢山買っていたから、食べて」と、袋菓子を手渡されました。

 

そんな用意周到な性格の女性だから、年中、風邪予防の白いマスクをされていても不思議はないと思っていました。

 

時代は今年で変わったのでしょうか。人間の意識も今年で変わったのでしょうか。新型コロナウィルス感染予防に、マスク姿の人が大多数を占めてくると、マスクをしていない人が今度は目立ちます。

 

でも、少し気味が悪い、と思います。顔半分が隠れていると、顔の印象が変わります。目は口ほどにものを言うとはいいますが、やはり目の表情だけではわかりません。「マスクの下では笑顔です」という張り紙を美容院で見かけましたが、それでもマスクの下で舌を出している人もいるはずです。

 

今年の2月頃にあったある集まりでは、マスクをしている人は数名でした。半年も経っていませんが、今とは意識がまるで違っていました。

 

マスクをしている理由をマスクをしていない人が考えると、「私たちに顔を隠そうとしている失礼な態度」「私たちの中に新型コロナウイルス感染者がいるかもしれないと疑っている失礼な態度」「本当に風邪をひいているのなら、家で寝ておけばいいのに出席する愚かな人」というものでした。

 

そんな「私たち」の目に怖じ気づいて、おずおずとマスクを外した中に、私もいました。私がマスクをしていた理由は、現在と同じで、「よくわからないけど、マスクをした方がいいらしいから」でした。

 

何がいいのか悪いのか、こっちにフラフラあっちにフラフラと揺れ動いていますが、「新しい生活様式」が万人に馴染めるゆったりとして優しいものになればいいと思います。

 

ただ、未だに「アベノマスク」は届いていません。毎日、郵便受けをドキドキしながら覗いています。

予期したこと

おばあちゃんよ

 

おばあちゃんよ

 

よろしくね

 

というのが、初孫に対して発した私の第一声でした。自ら「おばあちゃん」と名乗るとは、直前まで予期していませんでした。

 

小さくて柔らかくてまだ不確かな姿態の前では、見栄も衒いも溶けてなくなり、魂だけが露呈されるのでしょうか。

 

一つの命が誕生するとき、一つの命が喪われるのではないかと、私の老親は心配していました。「今度は自分の番」だと、父が言っていたそうです。

 

実は私も懸念していました。17年、共に暮らしている老いた犬が日に日に弱ってきていました。

 

でも、何も喪われていません。父も曾孫の誕生を手放しで喜びました。老いた犬も食欲が戻ってきました。

 

出産のときに云われている潮の満ち引き、月の満ち欠けも、後で調べると当てはまりませんでした。

 

人が予期できることは、意外と少ないのだと思いました。

 

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