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孫との距離感について

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

おじいちゃんやおばあちゃんの家に孫が遊びに行くのは、小学生低学年までの話です。いえ、ほかの人達のことは知りません。私の近くにいる子ども達の話です。

 

取り立てて好きでもなければ尊敬しているわけでもない父親や母親がいる家が、子どもの住む世界であり、子どもが自由になれる場所なのです。可愛いばかりの孫は、小学生になると おじいちゃんやおばあちゃんの家よりも、自由で楽しい事を見つけます。

 

おじいちゃんやおばあちゃんは、孫が遊びに来なくなったことに寂しさを味わいます。孫が来たら、遊びに連れて行ったり、美味しいものを食べさせたり、おこずかいもあげるつもりです。でも、なかなか孫は遊びにきません。もしかすると、我が子か嫁、もしくは婿が、孫を来させないようにしているのではないか、と疑います。

 

孫は、敏感に反応します。思いつめた愛情は、心の重荷になり、おじいちゃんやおばあちゃんのテリトリーを上手に避けます。そんな我が子の気持ちを、親は敏感に察します。

 

出会うたびに「✖✖ちゃんも来ればいいのに」と漏らすおじいちゃんやおばあちゃんに対して、親は「今日はクラブ活動しているのよ」とか「今日は友達と遊んでいるのよ」と一つ一つ、答えます。

 

本当は、自分の部屋でゲームをしているとは、とても言えません。本当は、「おじいちゃんの家に行こう」と誘っても「行かない」と拒んでいるとは、とても言えません。優しい嘘をつくことに苦心して、親もおじいちゃんやおばあちゃんに会いに行くことが苦痛になってしまいます。

 

そんな関係を孫の立場、子どもの立場で、長いあいだ過ごしてきました。だからこそ、私がおばあちゃんになったなら、孫は小学生まで猫可愛がりして、あとはお年玉と誕生日祝いだけ、あげときます。盆か正月に会えれば幸運だと思い、後は自分だけの楽しみを見つけます。もちろん、子や孫の幸せを願いながら。

 

『泣き虫しょったんの奇蹟』をみて

映画館で観ている途中、どういうわけか「長い映画だな」と思いました。まだ観終わっていないのに、上映時間を長いと感じた映画は、初めてでした。何故なのでしょう? それはともかく、面白みのある気持ちの良い映画でした。

 

意志薄弱気味だった少年が、将棋の面白さに目覚めてプロを夢見るpart1、奨励会に入って力をつけてプロを目指すpart2、26歳というプロになれるタイムリミットに焦り自暴自棄になるpart3、サラリーマンに転向してから将棋の楽しさに再び目覚めるpart4、周囲からの働きかけでプロの将棋士に再び挑戦するpart5などに、大きく分かれていました。

 

『若くてキレイな』担任先生役の松たか子さんが、小学生の『しょったん』に、とても温かい雰囲気で、同じ目線に立って、心に寄り添っていましたね。おとなしい少年にとって、どんなに励みになったことか、想像に難くありません。

 

街の将棋倶楽部の席主だった『工藤一夫』さん役のイッセー尾形さんが、たまたま軽トラのラジオで、プロ編入試験の最終挑戦の実況中継を耳にします。ラジオの声が、昔、自分を夢中にさせた少年の名前を連呼しているのを聞き、俄かに興奮しだします。

 

イッセー尾形さんは紙切れに鉛筆で棋譜を書き込み、戦いの優劣を必死に紐解こうと躍起になります。そのシーンが、とても胸にジーンときました。かつて同じものを夢見ていた者同士が、時空を超えて心の底では繋がっていて、無心に『しょったん』にエールを送る光景は尊いものでした。

 

先に書いたように、上映時間127分で普通の長さの映画にも関わらず、長い映画だと感じてしまった理由を私なりに考えていました。大きく分けて見ていたpartごとの『しょったん』の心象と背景が、独立した1つの物語として味わい深く、面白かったので、何度も物語を観始めて観終わった気分になったかも知れません。それで、長いと感じたのではないかと思います。 

 

とても面白かったです。本当に、おすすめの映画です。

 

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