いつかきっとがもう間近

ありのままの生活と夢の中

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憧れのスケジュール帳

お題「手帳」

たくさん、書きたいことが出てきそうなので、まず1.としてみる。

 

1. 昔から三日坊主だった。真新しいノートにドキドキして緊張しながら、なるべく綺麗な字を丁寧に書こうと努力した。それなのに、一日経ち二日経ち三日目にはそんなことおかまいなしに書きなぐった。五日経ち十日経つ頃には、前を読み返して愕然とした。「汚い!!」

 

それはそうだろう。習字が苦手な私にはきれいな字なんて無意識には書けない。ゆっくり、丁寧に、「ひらがなには、物差しで引いたような真っ直ぐな線は、どこにもありません」というお手本を思い出しながら、一文字一文字教本をえどるように書いた美しい意味などない文章を数ページめくると、これでもかというほど書きなぐった魂の文章が綿々と続いている。

 

それを見て、深く落ち込む。「ああ、汚い」と。緊張なくしては新しいノートは書けない。ノートは大きくてもA4サイズ。そしてとても薄い。50ページあるだろうか。

 

これが手帳ともなると、大きくてはがき大。小さくてその半分。年末年始ごろに、○○年度製手帳などと売り出されているスケジュール帳は、小さい上に分厚い。1000ページくらいあるのだろうか。それがほしくて欲しくて何度も文房具店に通っては悩むのだ。

 

 自分を知っているということは哲学的は素晴らしいことだと思う。「我、汝を知る」すばらしいではないか。手帳をあれこれ触りながら、「あんたには無理だよ、続きっこない」と哲学者見地の私は思う。

 

だけど、「みんな持ってるじゃない、欲しいじゃない、かっこいいじゃない」と頭のねじが緩んだもう一人の私が駄々をこねる。ああ、手帳。私にはきっと最後の最後まで書ききる手帳は今後ともないだろう。最近は携帯電話にスケジュール帳をお任せするのが主流だが。

 

 だが、ここで現実を考える。私にはスケジュール帳がいるほど、予定がない。十年一日のごとし毎日が昨日の繰り返し。「そうか、手帳は不要なのか」と思うと、たかだか手帳が人生の憧れ、目標にもなりうる、と思う愚かな私なのだ。

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