帰るところ、行くところ、どちらもあるのは幸せなことだ。
ゆったりのんびり楽しく過ごせた。でもいつまでもこうしているわけにはいかない。
歳月は皮肉屋だ。「ゆっくりしなさい、楽しみなさい、そんなひと時もたくさんないのだから」などと思わせておいて、いきなりドカンと歳月の重みをつきつけてくるのだ。
「なぜ今までこんなに時間を無駄にしたのか。今までいくらでも時間はあっただろうに」と切り捨てられるのだ。
「お前は馬鹿なのだから、人の3倍は勉強し、働き、気を引締めなさい」と本当のことをいってほしいのに、皆、優しい。
「できなくていいよ、それが普通だよ。そんな努力しなくていいんだよ、時の運に任せておけばなんとかしてくれるよ。たとえ努力しても時の運に見放されれば、水の泡と化すだけだからね」
これも一理あるだろうが、でもこれでは生きている価値はどこにも見いだせない。何のために生きて、何をしようとした人か、何を思って何を残した人か、なにも何一つない。
だから、時間を無意味に使いたくはない。たとえ全ての人に馬鹿にされようとも、自分の時間を意識して使っていたい。それがたとえピアノの下のホコリ取りであろうと。