要するに、会員だから無料で観ることができました。
「めおと」と打って何度か変換すると「娚」が出てきます。映画では「おとこ」と読むらしいです。でもね、見終わってから調べた知識、こんな読みにくい漢字には、せめて「otoko」とでもローマ字かその続け文字で格好よく、フリガナをうってほしい。とか、思っていたのですが、書いてありますね。細かく小さく。見落としてました。
「なぶる」「なぶりもの」という漢字は「娚」の女の左側にもう一つ男を付け加えると「嬲」る、「嬲」りもの、となる。
だから、この映画のタイトルを見たときは、きっと猥褻な雰囲気のものだろうと思った。だけれど、そうでもない。どうして、こんなタイトルにしたのだろうか。字面が悪すぎる。こう思うのは私だけでしょうか。
榮倉奈々さんも、よいですね。はい。スラリとした肢体と静かな瞳に釘付けです。
このタイトルのせいで、豊川悦司さんのフアンでも観なかった人は、私以外にいないのでしょうか。
けれど、よく考えてみました。この映画のタイトル、私ならどうつける?
母に捨てられ資産家の女性に引き取られた男の子が家を出た訳は、高3の時、育ての親である女性に結婚話が舞い込んだから。自分が家にいるべきでないという子どもらしい遠慮から、男の子は家を出て大学に通った。その大学で染色科の教授に出会い、恋をした。30年という歳月が過ぎ、教授は死に、哲学の大学教授となった元男の子は、教授の孫に出会うことになる。
おとこの一生、平仮名はいただけない。オトコの一生、軽薄な感じがする。男の一生、ど根性物語的な? やっぱり、「娚の一生」と当て字にするしかないのかもしれない。
それしか、言葉にできない曖昧で不確かなものを確実なものとして感じている登場人物達をタイトルで、いい表せないのかもしれない。
でも、それにしても、「一生」って。