風が吹くと、開いた襟首から冷たい夜の空気が体の中を駆け巡って、袖口から出て行く。そう、あの日もこんな風が吹く肌寒い夜だった。
白襟に紺色のワンピースに急いで着替えたのは、きっと彼が来る予感がしていたから。一番、お気に入りの服なら、きっと不安な気持ちが彼に伝わらないから。
「大丈夫ですか」
歩くたびに、石ころがゴロゴロ下に落ちていく山の中、先を歩く彼が振り向いた。
「平気よ」
何故、その場所を歩いているのか、あの日ですらわからなかった。今はもう、ないかも知れない。
ただ、確かなことは手を伸ばせば彼がいたということだけ。だが、覚えているのは、私は気弱で臆病で、届くはずの手を、伸ばせなかったということだけだ。
「寒いですね」
私は返事をしなかった。
「もう遅いですね」
私は返事をしなかった。
「今度どこか遠くに遊びにいきましょう」
私はすぐさま「はい」と答えた。
すると、ふふっとわらう彼の気配とともに、彼の手が私の指先に触れた。