いつかきっとがもう間近

ありのままの生活と夢の中

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『寝くじ』をくる

久しぶりに、我がお犬様をドライブに連れだし、半日、陽の下で遊ばせてみた。左後ろ足が悪くなってからは、もっぱら近回りの散歩にしか連れ出していなかったので、本当に久しぶりのことだ。

 

おんとし満15歳になる老爺犬なので、長い毛を風になびかせながら駆けていた昔の姿とは別物だ。今では脂肪のかたまりを何個も、荷物のように背中にのせているので顔を上げて歩くこともままならない。

 

そして夜、いつもよりも執拗に餌をねだる。まだ食べたい、おいしいのがいい、まだ足りない、といつまでもグズグズ、グズグズねだってくる。「今日は久しぶりに外で遊んだから、お腹がすいたんだ」と、しばらくグズ爺に付き合っていたが、あまりにしつこいので、読んでいた新聞紙を1枚広げて、ガウンのように頭から被せてみた。

 

すると、なんと新聞紙を被ったまま、瞬時に眠ってしまった。そのとき、ようやく思い出したのだ。あの執拗さは『寝くじ』だったのだと。どういうわけか、我が家の生き物は、皆、眠るのが下手だ。眠たいのなら、おとなしく静かに眠ればいいものを娘も息子もお犬様までも、よくグズグズ、グズグズぐずっていた。

 

『寝くじをくる』が正しい方言だと思うが、「ねくじをくる」の「くる」という言葉が私的になじめない語感なので、家では「ネクジタレ」と言っている。「くる」も「たれる」も褒められた語感ではないのだが。意味は寝ることを渋って、ぐずること。

 

久しぶりの『寝くじ』に遭遇したので、明日の子どもの日には、息子に食料品の宅配でも送ろうかと考えている。送る理由はもちろん、秘密にしておこう。

 

 

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