いつかきっとがもう間近

ありのままの生活と夢の中

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ピザと喧嘩したわけではないけれど

一番初めにピザを食べたのは、大人になってからです。何人かの人と、どこかのイタリアンレストランに行って、スパゲッティをそれぞれ1人前ずつ頼んでから、みんなで取り分けられる大きなピザを1枚頼んで食べたのが、一番はじめだと思います。

 

それよりも、ピザで強烈な記憶があるのは、昔々、『ペーパームーン』という雑誌に掲載されていた『ピッツァ』に憧れて、自分で材料を買ってきて作ったことです。

 

その頃、私は中学1年くらいだったと思います。小学生では『いちご新聞』と『詩とメルヘン』が大好きでした。やなせたかしさんや立原エリカさんの世界にどっぷり浸かっていました。でも、中学生になると、少し背伸びして『ペーパームーン』を購読するようになったのです。

 

そこに書かれた『ピッツァ』の材料は、普段、買い物をしたこともなければ料理をしたこともない私にとって、とても難しい品物でした。実は、『ピッツァ』というものがどんな味のするものなのか、知りませんでした。

 

一時、母親が手作りパンにハマっていたので、ドライイーストは知っていました。それに粉や油。なかなか見つからなかったのは、『アンチョビ』という厚みの薄い缶詰でした。スーパーマーケットで、缶詰がある棚をしらみつぶしに探して、ようやく雑誌の写真によく似た、薄っぺらい缶詰を手に入れました。

 

家族がそれぞれの用事で外出して不在の日曜日、早速、私は『ピッツァ』作りを始めました。火の消えた寒い台所でしたが、家族が戻ってきた時に、びっくりさせようと思っていました。

 

雑誌には、小さな活字でビッシリと、作り方が書かれていたような気がします。けれども、難しい言い回しや意味のわからない言葉をスルーした結果なのかも知れませんが、ピッツァの生地をこねたときは、手に粉がベチャベチャにくっついて離れなくて、泣きたくなりました。打粉を知らなかったせいなのですが。

 

いつまでたっても、ベチャベチャの粉が手にくっついてしまい、平らに伸ばせませんでした。けれども、ほとんど半泣きの状態で、手のひらをテーブルに押し付けるようにして、なんとか凸凹だけれど具材を載せることができる程度に、平らに伸ばせました。

 

ベチャベチャの粉がついた手をつめたい冷たい水とスポンジで、こそいで流し落とせたときは、手が真っ赤になっていました。

 

はい、それからです、クライマックスが近づいてきました。あの薄っぺらい『アンチョビ』とやらいう缶詰を開けるために、缶切りを探しました。缶切りがどこに片付けてあるかも知らなかったので、台所の引き出しを全部、開けて探しました。

 

ようやく探し当てた缶切りで、ギコギコと缶詰を開けていたときは、まだ期待していました。この缶詰を開けて、その中身を生地の上に載せさえすれば、雑誌の写真と同じように出来上がると信じていました。

 

でも、『アンチョビ』の缶詰を開けて、度肝を抜かれました。あのニオイ、ありえません。中学生女子、いえ、一括りにしては失礼ですね。少なくとも私には理解できない、食べ物にはなり得ない、そんなニオイでした。

 

そんな時です。玄関で、『ただいま』と母親の声がしたのです。私は咄嗟に台所から逃げ出しました。

 

そこから、まったく記憶がないのです。母親に叱られた記憶もないのです。ただ、翌朝、あのベチャベチャの生地は、肉まんに変身していました。あの度肝を抜かれた『アンチョビ』の缶詰は、ありませんでした。

 

だからなのでしょう。ピザは今でも私にとって、特別な食べ物です。決して嫌いではないのですが、無防備に「オイシイ!」と絶賛する気にもなれません。どこか穿った見方をしてしまいます。仲が悪い、そんな感じです。

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