いつかきっとがもう間近

ありのままの生活と夢の中

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カワイソウニ

そういえば、今は昔の話ですが、

 

「カワイソウ。アンタハ、ホントウニ、カワイソウ」と言われたことがあります。よりにもよって、母親からの言葉でした。

 

ドノクチガ、イウ?

 

私は反発を抑えきれず、「可哀想って言われる筋合いは、まったくないわ。私のどこが可哀想なの?」と、母の眼を見据えて言いました。

 

すると母は、目をそらしながら「アンタニ、カギラズ、イキテイルモノハ、ミナ、カワイソウダト、オモウノヨ」と、のたまわれました。

 

その当時の私から言わせてもらいますと、「ナニサマノ、ツモリナノ? アナタニ、カワイソウダナンテ、イワレルスジアイハナイシ、ワタシハ、ワタシナリニ、タノシク、クラシテイルノヨ、ホッテオイテ」。そう言ったか言わなかったかは憶えていませんが、そう思ったことは記憶しています。

 

それなのに。

 

歳をとると、あれほど嫌いだった母親と、同じ言葉が頭に浮かんでしまいました。いえ、誰にも言っていません。心の中で、自然にドヨッと浮かんだ言葉です。

 

「カワイソウニ……」

 

きっと、それを聞いたら、息子は激怒するでしょう。彼は彼なりに、彼らしく、立派に生きているのです。なんの落ち度もありません。一生懸命に働いて、一生懸命に自立して暮らしているのです。

 

それなのに。その必死さ、そのひたむきさ、その余裕のなさを如才なく見て取った私は、自然に「カワイソウニ」と感じてしまったのです。

 

ゴメンネ、ヒャッカジテンヲホシガッタトキ、ツミタテチョキンヲクズシテデモ、カッテアゲレバヨカッタ……。ゴメンネ、ナニカ、イイタソウナカオヲシテイタトキ、キチント、ハナシヲキイテアゲレバヨカッタ……。

 

彼の成長に関わった僅かな年月の中で、限りない量の後悔の念が、一度に私に押し寄せたとき、落ち込み、自戒して、そして万感の想いで「カワイソウ」という言葉に変換されたのかも知れません。

 

きっと母も、そうだったのかも知れません。ようするに、子どもの不甲斐ない人生を作ったのは自分だという後悔の念だったのかも知れません。でも、それは親の傲慢さ以外のなにものでもありません。

 

だから、本人に言わなくてもいいでしょう? 「王様の耳はロバの耳」のように、まったく関係ない人に吐き出せばよかったのではないですか?

 

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