母の日、父の日、敬老の日、子どもの日と、1年のうちに何度となく「身近な人」に感謝を伝えやすい日が設けられています。
それに便乗しない手はありません。
以前は『お父さん、ありがとうの気持ちをこめて』などのメッセージシールが貼ってある包装紙めあてに、わざわざデパートでポロシャツなどを購入して贈っていました。
若い頃は、家族に向かって「いつもありがとう」と言える人とは、そう言えるように育てられた人なのだろうと、穿ちすぎな考えをしていました。
そういうふうに育てられていないので、言える訳はないでしょ? と少し、ひねくれていたのかもしれません。若さって、そんなものです。
それでも、父の日が近づくと、お店では父の日商戦が激しくなり、誰もかれも父の日に贈り物をするかのように、人々を煽ります。
煽られやすい私は、真面目に「何を買ってあげようか」と一生懸命に悩んで、父に似合いそうな色や柄の品物を時間をかけて探していました。
ようやく手に入れた「ありがとう」シール付きの包装紙を持って、父の日になると手渡しに行っていました。
そして、ポイッとテーブルの上に置いて、そそくさとその場を離れていました。本当に、若さって、恥ずかしいものです。
若くもなくなった今では、なんでもかんでも平気です。いくらでも、ありがとうが言えてしまうのです。ありがとうありがとうありがとう、と挨拶がわりに言えてしまうのです。
昨日の父の日の贈り物は、品物ではありません。
父が好きな懐メロの楽譜を手に入れて、電子ピアノで演奏してあげました。
きっとこんな父の日の贈り物も、将来の苦笑の種になりそうです。若かったわねって。