いつかきっとがもう間近

ありのままの生活と夢の中

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今週のお題「二十歳」

昔、正月や盆やその他の理由で、祖父母の家に、渋々、両親に連れられて行っていました。『渋々』というのは、別にとりたてて祖父母が嫌いというのではありません。まぁ、懐いていたわけでもありません。

 

祖父母は子沢山で、孫もたくさんいました。たまにしか会いに行かない遠距離の内孫よりも、毎週のように現れる外孫の方が可愛いはずです。少なくとも、そう感じていたので、無邪気になることもなく、可愛がられることに遠慮していました。

 

それに、全体的に薄暗くて、歩けばギシギシ音がする祖父母の家が苦手でした。憂鬱というか、気が重くなるというか、祖父母の家で私は声を上げて笑ったことがないと断定できるくらいです。

 

けれど、それは私のヒガミ根性だけからくるものではなく、祖父母の家に行く理由のその他の大部分が『法事』だったことが、原因なのかもしれません。

 

祖父母の家に着くと、両親は木の門扉を引いて中に入り、庭木に顔を背けながら何歩か歩いて玄関の引き戸を開けました。私はその後ろから、体に枝が突き刺さらないように身を縮めて、ついていきました。玄関に足を一歩踏み入れると、明るく清潔な三和土とその広さにホッとしたものです。

 

「こんにちは」

「まあ、いらっしゃい」

玄関の三和土からみる祖父母は、明るく笑って迎えてくれていたような気がします。上がり框から廊下を一直線に奥に向かうと、台所と五右衛門風呂に突き当たります。奥に奥に歩くに従って、昼間でも薄暗くなっていきます。

 

電球が長い廊下に1つ、ついていました。もちろん、昼間はつけません。部屋は廊下沿いに3室ありました。皆でご飯を食べる和室が一番奥にあり、それから祖父母の寝室の和室、仏壇がある和室でした。

 

仏壇がある部屋が位置的には玄関の真横なのですが、構造上、玄関から一番遠くて、暗い部屋でした。私たち一家が祖父母の家に泊まる場所は、その仏間でした。夜、目が覚めると、豆電球の光が鴨居に吊り下げられた先祖たちの顔写真に反射して、キラキラ光って、落ち着かない気分になりました。

 

その翌日、いつの間にか寝具が片付けられて、狭い部屋に沢山の親戚が集まり、お寺さんの途轍もなく長いお経を聴いていました。足は痺れるし、お寺さん独特の抑揚がおかしいしで、声を殺して笑っては母に指でつつかれていました。

 

お寺さんがいなくなると、「今度、遊びに来なさいな」「大きくなったわね」と叔父や叔母から声をかけられます。返事に困っている私に、母はすかさず「ありがとうございます、でしょ?」と指南してきました。

 

どういうものなのでしょう。今でも本当は、疑問に思います。「ありがとうございます」という言葉は重みのある言葉で、感謝を表すものです。挨拶言葉でも相槌でもないはずです。

 

「遊びに来てもいいよ」という気持ちに感謝、「大きくなった」と気づいてくれたことに感謝、する必要があるのかもしれません。それとも、昔の意味としての「ありがたし」の「めったにないこと」「存在しがたいもの」の意味が活きているのかもしれません。

 

「ありがとうございます」が、口癖のようにいえるようになったのは、働きはじめてからでした。「ありがとうございます」が鼻歌のように言えるようになって、意味のある言葉とも考えなくなりました。その頃、大人になったような気がします。

 

 

けれど、大人初心者から大人熟練者になってきた今、言葉の重みを学び直しているところです。

 

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