いつかきっとがもう間近

ありのままの生活と夢の中

花火大会

季節の風物がまた一つ、なくなった。花火大会。

 

昔は家から歩いていける川原で花火が上がった。一人で見に行くほど風流を解してなかった若い頃、部屋の中で爆音だけが響き渡り、寂しさがつのることもあった。

 

太陽が傾く前から草の上にレジャーシートを広げ、夜を心待ちにした年もあった。あまりに近すぎて、見上げる首が痛くて寝転がった。

 

近場の花火大会がなくなってから、海沿いの花火大会に電車に乗って行ったことも数回あった。すごい人ごみで会場までたどりつけず、音のする方を見ると、建物の屋上から欠けた花火が何個か見えた。もっと先に行こうとせがむ子どもに「これで見たことにしようか」と宥めながら、迷子にならないように手首を強くつかんで「痛い」と泣きべそをかかれた。

 

その花火大会には足が向かなくなって、島の花火大会だけになった。花火を見に行くのは1日がかりで、朝早くから車を桟橋で停めて、島に渡ったこともあった。花火は松の木林で遮られて影さえ見えず、帰りの船乗り場で一斉に離島する群衆の中、「宿を予約しておけばよかったのに」と言い合った。

 

「遊覧船で花火を見ないか」、旅行会社のチケットを予約したと嬉しそうに両親が電話してきた年もあった。その年は土曜日が花火大会で、仕事が休めそうになかった。「ごめん、無理」と素っ気なく断ってから、その後、何年も両親から恨み節を聞かされた。

 

島の花火大会も今年で幕を閉じたことを新聞で知った。最後の島の花火大会は、新聞紙を壁に張ってスマホで見た。小さなスマホの画面の中、AR(Augmented Reality)花火が次々に上がっていた。両親にも音量を最大にして見せてあげた。「きれいね」と笑う母をみて、あの日、仕事を休んで両親と花火を見に行けばよかったと、初めて後悔した。

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